引き寄せの法則を量子論と脳科学をベースにしたメソッドで提供

潜在能力に氣づけない簡単な理由

「よくこんなメロディーラインを思いつくな〜」

「こんな絵どうして描けるんだろう?」

「こんなストーリーどうやったら発想できるんだ?」

誰かの作品なり仕事を見てそんなふうに思ったこと、あなたにも何度かあるはず。(*^.^*)

「すごい才能だよなー」とか「やっぱり天才だよなー」なんて思うと同時に、「いやー、自分にはとても真似できない」なんてことも思う訳です。

まー、実際そうだと思います。

私だってすごいメロディーラインを作るミュージシャンの真似をしようとしたってそれは無理な話。(^^ゞ

もしかしたらやったらある程度はできるかもしれませんが、多くの人に受け入れられるようなヒット曲を作れるのか、というとそれはまた別の話ですよね。

それこそ適当に作った鼻歌だって作曲といえば作曲ですが、それだけでは当然作曲にはならない。

ちゃんと作曲にするには、そのメロディーを譜面に落としたり録音したり、さらにいろんなメロディーと組み合わせたり、いろんな楽器の音を組み合わせたりしなければなりません。

そういう意味では、鼻歌とは比べ物にならない大変な作業です。(・ε・)

まー当たり前ですが。

ただ、そもそものことを言えば、「作曲に興味があるのか?、作曲してみたいのか?」と聞かれたら、全然興味もないし、したくもないです爆。( ゚∀゚ )ハァーハッハッ!!

でも私はそこが一番大事なポイントだと思っています。

『そもそもやってみたいのか、そもそもそれに興味があるのか』ということがとても大事だと思うんです。

なぜなら、そこにあなたの『才能の芽』があるからです。ヽ(゚◇゚ )ノ

例えばですよ。

プロ野球選手はそもそも野球に興味があって一生懸命努力した結果、プロ野球選手になったんですよね?

ミュージシャンや作家にしても、曲作りや、物語を想像することに興味関心があったからですよね?

つまり、そもそも興味関心があることに一生懸命取り組んだ結果、潜在的に持っている能力、才能が開花したわけです。。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚

苦手で興味関心が全くないことなのに、なんとか頑張って取り組むことで才能が開花、大成した人なんていますかね?

私は皆無だと思います。(^_^)

興味関心がない、ということは、そもそもその領域が才能を開花する領域ではない、ということだからです。

昨年のノーベル生理医学賞は京都大学の本庶さんが受賞されましたよね。

本庶さんは製薬会社への不満などの発言が注目を浴びたりしてますが、その注目を浴びている発言の一つが『教科書を疑え』というもの。

「教科書を読んで満足せずに、興味を持って体験し、納得することが大事」とおっしゃってます。

「教科書を疑え」ということは、教科書に書いている内容を鵜呑みにせずに、「えー、本当にそうか?」と違和感を感じるところは自分でちゃんと調べなさい、ということですよね。

私もこのような「健全な猜疑心」はとても大事だと思っています。

なぜなら、社会的に「これが正しい」とか「これが常識」とされている事に感じるちょっとした違和感も、その人の興味関心領域を示しているからです。

つまり、その人の才能が開花して大成する領域をです。ヘ(゚∀゚*)ノ

よく、「ワクワクに従いなさい」とか、「楽しいことをしなさい」と言われていますが、これはこれで興味関心領域に向かうことになるので、確かに大事なことです。

ただ一方でよく見落とされがちなのが『違和感』なんです。∧( 'Θ' )∧

ワクワク、違和感のどちらにしても『感じていること』なんですが、違和感は常識や社会通念的なことで無視されることが多いんです。

本庶さん流に言えば、教科書という『常識や正しさ』を安易しに信じてしまうことで才能が潰れてしまうということです。

現に本庶さんは「え、本当にそうなのか?」という違和感の領域に果敢に挑み続けることで重要な発見をし、ノーベル賞の受賞につながったわけですよね。

そういう意味では、ちょっとした違和感も、あなたの潜在能力や才能を開花させる領域を示すヒントなんです。(^ε^)♪

そして、あなたの才能が開花して、存分に持てる能力を発揮した状態が、いわゆる、『あなたが本当に望んでいる現実を引き寄せた』ということですよね。

さらに加えて言えば。

ちょー当たり前のことなんですが、どんな場合であってもちゃんと才能を開花させている人は『やっている人』です。

作曲家になった人でも、実際に作曲という作業を繰り返したから作曲の才能が開花したわけです。

サッカー選手にしても、サッカーに一生懸命取り組んだからサッカーの才能が開花したわけです。

面白そう、楽しそうと感じていても、それをやってみなければ何も変わらない。

なんか違うという違和感を感じていても、その違和感を放っておいたら何も変わらない。

非常に当たり前なんですが、感じていることをやらないと才能は開花しないし、自分の潜在能力にも氣づけないんです。(*`▽´*)ウヒョヒョ

そういう意味では、「自分には能力がない」とか、「自分にはなんの才能もない」なんて感じている人は、そもそも興味関心や違和感を無視しして、何もやってない人だったりします。

私は、誰にでもなんらかの才能があると思っています。

なんの能力も持っていない、なんて人は一人として存在しないと思うのです。(^∇^)

自分の能力や才能に氣がつけないのは、興味関心や違和感を無視しているからなんです。

興味関心や違和感を感じることに取り組まないので、自分の才能や潜在能力を発揮できないんです。

私も今では「文章がすごくわかりやすいですね」とか「文才がありますね」なんて言われますが、ブログを書くようになるまでは自分で「俺って文才あるよなー」なんてことは一度たりとも思ったことありません。

何しろ、小学生の時に初めて書いた作文が、「ぼくは作文が書けません」という一文だけの作文でしたし(爆)。

ただ、自分が興味関心がある領域を色々調べたり、自分なりに実践したりしていくうちにブログで発信したくなり、文章を書き始めた。

その過程で、「どうやら私は難しいことを分かりやすく伝えるのが得意らしい」なんてことに氣づくわけです。

つまり、それが私が持っている才能の一つ、と言うわけです。(*^ー^)ノ

感じていることを無視して、潜在能力や才能を発揮することなく一生を終えるのか。

興味関心、違和感を感じることを探求することで、潜在能力や才能を開花させるのか?

これもあなた自身による選択なんですよ。(*^o^*)

 

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