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量子力学と東洋思想
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- 2016年4月9日
量子力学と東洋思想
量子力学(量子論)の育ての親と言えばニールス・ボーア(以下写真)です。
彼は量子力学の形成に指導的な役割を果たした人で、量子力学に反対をしていたアインシュタインと議論を戦わせた人としても有名です。
(写真はボーアとアインシュタイン)
アインシュタインは「自然の摂理には人間の意識を超えた客観性がある」と信じてい疑わなかったため、ボーアが主張する「観測されて現実が確定する」とする量子力学の世界にどうしても納得できなかった。
でも結局ボーアとの議論でアインシュタインは敗北します。
そして、のちに様々な実証実験を通じて「やはりボーアが正しかった」ということが実際に証明させれていくことになります。
ちなみに、ロンドン大学の理論物理学者であるデヴィット・ボーム(以下写真)は、
「私は、ボーア、アインシュタイン両方の主張を取り入れるべきだと思います。もちろん、そのためには、何かが犠牲になります。最後に犠牲になるのは、多分、相対性理論だと思います」
という意味深なことを言っています。
つまり、相対性理論は後々見直されることになるということを暗示したわけですね。
アインシュタインと言えば20世紀を代表する天才物理学者ですが、量子力学については「相対性理論の100倍考えている」と述べています。
でも、その彼をもってしてまで量子論の世界観を理解し難く受け入れられなかった。。。
なぜ、それほど受け入れ難かったのか?
それは、量子力学が、ニュートン力学から派生する古典物理の世界観とあまりにもかけ離れていたためです。
アイザック・ニュートン(以下肖像画)と言えば誰もが知る万有引力の発見者である大天才の一人で、古典物理学の祖でもあります。
ニュートン力学の根本的な概念としてあるのは「自然法則と人間は別もの」という考え方です。
つまり「自然にある物理法則は人間の意識とは全く関係がなく、独立した法則として動いている」とする考え方です。
「ピタゴラスの定理は人間の意識ある無しに関わらず変わらないでしょ?」とする考え方ですよね。
それはそれで「なるほど」と思いますよね。(*^.^*)
でも、このニュートンの考え方に猛烈に異議を唱えた人がいます。
もちろん、ニュートンの時代ですから、まだ量子力学(量子論)など全く存在しない時代です。
そして、その反対した人というのは、ドイツを代表する文豪であるゲーテ(以下肖像画)です。
ゲーテは小説家、詩人として有名ですが、実は自然科学者でもありました。
その彼は、人間と自然を切り離して捉えるという考え方に猛反対したのです。
なぜなら、彼は自然科学者でもあったので「自然は、観測する者とされるモノが一体となった時に初めて本当の姿を現わす」と考えていました。
量子力学のない時代ですが、「観測者の意識が現象に影響する」ということをゲーテは直感的に捉えていたワケですね。
さすがですよね。(・∀・)
実際彼は「実験で切り刻まれた自然や、数字で置き換えられた自然はすでに本当の姿ではない」と言い放っています。
加えて、彼は東洋思想や量子力学(量子論)につながるような重要な指摘も同時にしているんです。
当時の科学者はそれを無視しちゃうのですが。。。
以下の図は、量子力学(量子論)の育ての親であるニールス・ボーアが作ったボーア家の家紋です。
ボーアはもちろんノーベル賞も取っているのですが、彼の祖国であるデンマークからも彼の功績を称えて勲章が授与されています。
で、その勲章を授与される際に自分の家の家紋を作る必要があるらしく、その際にこのデザインを採用したそうです。
見てお分かりの通り、真ん中に描かれているのが、古代中国の易経を象徴する図柄である「太極図」です。
ボーアは「陰と陽が入り混じるところに実在が存在する」という易経の思想がまさに量子力学と同じであると感銘を受け、このデザインを採用したそう。
分子、原子、素粒子というこの世を構成する究極の「本質」を研究し続けてきた彼が「これぞ、まさに量子力学の世界観だ」と感動したわけですね。(^∇^)
彼を含めた量子力学(量子論)の研究者がたどり着いたのが「量子の世界は粒でもあり波でもある」という二面性の事実と、人間の意識が介入するまでは、その量子の状態は何も確定していないという事実です。
つまり、人間の意識が介入するまでは、すべての状態は「確率として存在する」だけで、確定していることは何もない、ということです。
この世は、陰でもなく、陽でもない、すべてが「確率の状態」で入り混じっていて、どちらにでもなりうる状態が常、とする易経の考え方にボーアは量子力学(量子論)との共通点を見出し、感動したわけです。
で、陰と陽が入り混じった状態がこの世の常である、ということをニュートン力学の時代に主張していた西洋人が、前の記事でご紹介したゲーテなんです。
ニュートンの光学は、あくまで光を研究する学問であり、闇は単なる光の欠如で研究の対象にはなりません。
しかしゲーテは「闇とは、光と共に色彩現象の両極をになう重要な要素である」とし、「もしもこの世界に光しかなければ色彩は成立しないし、闇だけでも成立しない」と主張しました。
そして、光と闇が入り混じるところに、初めて色彩は現れるということを、ある実験を通じて表現しました。
以下の白黒図を見てください。
私たちの肉眼で見ると、ただの白黒ですよね。
しかし、これをプリズムを通して見ると以下のように見えます。
ちょっと分かり難いかもしれませんが、白と黒の境界線に色が浮かんでいますよね。
肉眼ではこれらの色を認識できませんが、実際にはそこに「数種類の色がある」ということです。
つまり、色とは本来「光と闇の結婚」であるので、ニュートン力学のように「光」にだけ目を向けても本質は捉えられない、としたのです。
そして、ゲーテの主張の正しさは、のちに量子力学(量子論)の研究者により証明されることになります。
実は、量子力学は、自然と人間を切り離して捉えてきたニュートン力学以降の近代科学に対する問題提起でもあるんです。
つまり、自然を含めてこの世に実在するモノすべては、個別、分離では本質を捉えることができず、統合された全体として捉える必要があるということです。
陰と陽が溶け合い入り混じりながら、時には対立することが結果的に調和となり、世界が作られていく。
男女、生死、明暗、良悪など、これらの対立軸が入り混じったところに「色」という現実が生まれるということです。
そして、実は2000年以上も前に、そのように形作られる現実を「色」として捉え、「この世は全て意識で作られている幻である」と主張していた人がいます。
めちゃくちゃ有名な人です。
「色即是空 空即是色」ってご存知ですか?
「しきそくぜくう、くうそくぜしき」と読みます。
仏教の般若心経に出てくる言葉です。
般若心経とは、簡単に言えばお釈迦様が「悟り」について語っている仏教の経典で、最も簡潔に仏教のエッセンスがまとめられていると言われています。(*^.^*)
その中に出てくる「色即是空 空即是色」という言葉。
簡単に言えば、ここでいう「色」とは目に見えるもので、「空」とは目に見えないものです。
まず、「目に見える」という原理ですが、我々人間は可視光線が反射するものだけを見ることができます。
りんごが赤く見えるのも、りんごが赤色という可視光を反射するからです。
なので、逆を言えば、私たちは可視光が反射しない物体は目にすることが出来ません。
そういう意味では、私たちが捉えている「物体」というのは可視光が反射した「色」なんです。
かたや「空」とは目に見えないものですが、科学的に言えば「可視光が反射しないモノ」ということになります。
で、実際、私たち人間が捉えられる可視光の範囲というのは大変狭いんでんです。
光も波長であり、波はエネルギーです。
以下の図はこの世に存在する様々な波を表したものです。
この図で解ることは、私たち人間が捉えられる光はピンク色で白抜き文字になっている「可視光」と呼ばれる部分だけです。
非常に狭い範囲の波長しか我々の目は捉えられないということがよく解りますよね。
で、その事実を前提とした上で「色即是空 空即是色」が意味することとは何か?
簡単に言うと「目に見えるものも、見えないものも、実体は同じ」ということなんです。
なぜなら、目に見えるものは、目に見えないもので出来ているからです。
ちょっとややこしいですよね?(≡^∇^≡)
例えばですよ。
あなたもこのブログを読んでいるということは、間違いなく生きてますよね(爆)。(^∇^)
で、生きているということは常に空気を体内に取り入れているはずです。
その空気は酸素や窒素などの成分で構成されており、それらの成分は全て原子でできています。
つまり、目に見えないものです。
そして、私たちの体も、我々の周りにある様々な物質も、全て原子で出来ています。
この世に存在する目に見えるものも、目に見えないものも全て原子で出来ているんです。
であれば、「目に見えるものも、見えないものも、実体は同じ」ということになりますよね。(・∀・)
お釈迦様が言う「色」も「空」も、全ては私たち人間が目にすることが出来ない原子(素粒子)で出来ており、それがこの世を作り上げている。
それがこの世の本質だということです。(*゚ー゚*)
目に見えない原子(素粒子)が分子構造を作り、人間の目で捉えられるように変化したものだけを人間は「物質」と呼んでいます。
で、実際は物質以外の空間も原子で出来ているのですから、この世の森羅万象を生み出している実体は「空」なんです。
そして、「色」は「空」が作り上げる幻のようなものということになります。
さらに言えば、目で捉えることが出来ない「空」の世界も、意識が介在していない時は何も確定していない「波」の状態です。
そういう意味でも、私たちの実体は形のないエネルギーのような存在であり、それが意識により「物質」として認識される仕組みになっているということになります。
正直、このことを考えると気持ち悪くなりますが(苦笑)、量子力学(量子論)でこの世界を捉えるとそのようになるし、このことは2000年もの昔にすでにお釈迦様も解っていたということですよね。
そうなると当然「意識とは何か?」となりますが、これこそが現代の科学でも解明できない究極の謎になります。
そして、この意識に対する解釈が、ニュートン力学から派生した古典物理学と、東洋思想とも相通じる量子力学との根本的な違いになります。
その違いはアインシュタインとある偉人の対話からも見て取れます。
アインシュタインがボーアたちと量子力学(量子論)について論争をしていた時期に、ある人がアインシュタインの別荘を訪ねます。
その人とはインドの大詩人タゴールです。
(アインシュタインとタゴール)
タゴールもノーベル文学賞の受賞者ですから、この対談はノーベル賞受賞者同士のビッグ対談となりました。
でも、それ以上に東洋と西洋の世界観の違いが如実に現れた対談ともなりました。
以下、対談の一部です。
**********
アインシュタイン(以下E):あなたは神を信じますか?
タゴール(以下T):勿論、私は信じます。
E:あなたの神はどのような神ですか?
T:それは人間と神との間における神です。あらゆる真理は、人間がいなくてはなりたちません。
E:もしこの地上に人間が一人もいなくても、宇宙というものは存在するでしょう?
T:人間なくして宇宙が存在する筈はありません。何故なら宇宙の存在を感じているのは人間です。その人間がいなかったら宇宙が存在しようがしまいが、それを判断できる人は誰もいないんじゃないですか?
E:いや、そうではないはずです。自分は宇宙の実在というものを信じています。その宇宙の実在がなければ科学というものも成り立たないのではないですか?
T:科学そのものも人間が生んでいるものですよね。そして、この実在を感じるのも人間です。なので、もしも人間がいなければ、この世界そのものは無に等しいのです。つまり、この世界は人間の世界なのです。世界についての科学理論も所詮は科学者の見方にすぎません。
E:しかし真理は人間とは無関係に存在するものではないでしょうか。例えば、私が見ていなくても月は確かにあるのです。
T:それはその通りです。しかし月はあなたの意識になくても、他の人間の意識にはあるのです。人間の意識の中にしか月が存在しないことは同じです。
E:私は人間性を超えた客観性が存在すると信じます。ピタゴラスの定理は人間とは無関係に存在する真実です。
T:しかし科学は、月も無数の原子が描く現象であることを証明したではありませんか?あの天体に光と闇の神秘を見るか、それとも無数の原子を見るか。もし人間の意識が月だと感じなくなれば、それはもはや月ではなくなるのです。
*********
いかがですか?
ほんの一部ですが、めちゃくちゃ深い対話ですよねー。
で、結局この対話は噛み合わずに平行線のままで終わります。
どちらの発言も「なるほどー、そうですよねー」なんて納得してしまいますが、量子力学(量子論)的な解釈で考えるとタゴールの主張になります。
タゴールの主張は、すべてが「人間の意識ありき」なのですから。
人間の意識抜きで自然法則や各種の現象を語っても意味がない、とするのはまさに量子論の世界観です。
なぜなら、人間の意識が介入する前には確率しかなく、人間が意識することで初めて状態が確定するからです。
「人間の意識と自然法則は全くの別物」、「離れたものは独立して存在する」、としてきた古典物理的考え方にアインシュタインも固執していたのですが、それが間違いであるということはすでに各種の実験で証明されています。
素粒子を二つに分裂させても同じ振る舞いをするという、いわゆる「量子もつれ現象」を実証実験で確認したジョン・スチュワート・ベル博士(写真)はこう語っています。
「私たちは宇宙観の変更を迫られています。二つのモノを完全に分けることは出来ません。物体は全体として扱わなければならないのです」
「量子もつれ」について詳しく知りたい場合はこちらの記事を参考にして下さい。
何れにしても、量子力学(量子論)が解明してきた世界はこれまでの古典物理的常識の多くを覆すものであり、そうであるが故にアインシュタインという大天才も最後まで悩んでいたのです。
さらに言えば、量子力学で確認されている現象の多くは「オカルト」とされかねない現象も多いので、一般の人たちは「そんな馬鹿な~」と捉えがちです。(*゚ー゚*)
でも、それらの多くは実証実験でも確認されている科学的事実であり、私たちがそれを知らないだけなのです。
実は最先端の物理が一般的な教科書に載り、教師がきちんと説明できるようになるまで100年かかると言われています。
そいう意味では、もうそろそろ量子力学的な世界観が常識になる時代が近づいているのかもしれません。
と言うよりは、むしろ、古代東洋で易経や仏教などを通じ語られていた世界観が、科学的事実として認識される時代とも言えるでしょう。
つまり、意識レベルでは全ては繋がっており、その意識が世界を作っているということが認知される時代です。
31歳でノーベル賞を受賞した天才物理学者のハイゼンベルク(写真)はこう語っています。
「今日、我々が原子の構造を見たとしましょう。そこに我々は何を見るのでしょうか?そこに見るのは我々の意識の構造そのものなのです」
あなたの眼の前で展開している世界は、空間も、物質も、全て目に見えない原子で出来ています。
そして、それらの原子は意識により状態が確定します。
ですので、あなたの眼の前で展開している状況はあなたの意識が確定させているのです。
意識の9割以上は無意識(潜在意識)なので、あなたはそれを自覚できないだけなんです。
意識が全てを確定させているのだから、あなたの外側の状況に働きかけるよりも、あなたの内側の意識(潜在意識)に働きかけることが大事。
そんなことが常識になる時代がすぐそこまで来ていると思いませんか?
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