「手かせ、足かせ」外して好きに生きる
- 感性と思考 潜在能力の覚醒(天才性発揮) 自分軸と引き寄せ 引き寄せと量子論
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- 2019年10月30日
何年か前ですが、以下の広告が話題になりました。
昨年お亡くなりになられた樹木希林さんを起用した宝島社の企業広告です。
この広告のメインコピーが「死ぬときぐらい好きにさせてよ」。(≡^∇^≡)
「死」について考えることで「どう生きるか」を考えるきっかけにしてほしい、との思いが込められているそうです。
そういえば、直近の大ベストセラーも「君たちはどう生きるか」。
私の家にもこの本がありました。
まだ読んでませんけど。(*^.^*)
「どう生きるか」を問いかける広告が話題となり、「どう生きるか」と問いかける本がベストセラーになっている。
この現象はある意味、多くの人が「どう生きるか」に関心を持っている現れとも言えますよね。
でもその関心の裏を返せば、多くの人が「どう生きるか」を迷い、見失っているとも言えます。(*゚ー゚)ゞ
なぜなら、「どう生きるか」を既に決めている人は、それほど「どう生きるか」に関心を持たないと思うからです。
現に私は決めている方ですが、正直そんなに関心ありません。( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
多くの人が迷い、見失っているからこそ、その指針やヒントになれば、との想いで本を買ったりするわけですからね。
ところで、これを今読んでいるあなたは「どう生きるか」決めていますか?
決めていないなら、決めた方がいいですよ。(*^ー^)ノ
なぜなら「どう生きるか」が人生において最も重要なことだと思うからです。
ちなみに、私が決めている生き方をもっとも端的な言葉にすると「好きに生きる」です。(*`▽´*)ウヒョヒョ
感覚や感性に従って興味が湧いたり面白そうなことをやり、違和感があることや自分には合わないと感じることはやらない。
単純に言えばそういうことなんですが、これが「好きに生きる」だと思ってます。(・∀・)
でも正直言って、私のように「好きに生きている」とうい人の方が少数派だと思います。
その現状が上で挙げた広告のメインコピーに現れている。
つまり「死ぬときぐらい好きにさせてよ」に。(´・ω・`)
このコピーの言わんとしていることは、「今まで好きに生きられなかったんだから、死ぬときぐらいは好きにさせてよ」ってことですから。
でもこれって悲しいことですよね。(*v.v)
だって人生って「人が生きる」って書くわけですし、当たり前ですが「生きること」がメインです。
そのメインの「生きること」が好きなよう出来なかったら、それこそ麺も具も無いラーメンみたいなもんです。Ψ(`∀´)Ψヶヶヶ
それってただのスープなわけですが(爆)、ラーメンを頼んだ人からすると残念極まりないこと。(・ε・)
つまり、好きに生きられない人生は、そのまま残念な人生になってしまうのです。( T_T)\(^-^ )
そして、そのような人生にしないことが一番大事なことだと私は思うのです。
私たちは生まれてからしばらくは赤ちゃんの時を過ごし、その時は比較的「好き放題」やってます。γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑い、うんちしたい時にうんちし、食べたい時に食べる。
氣に食わなかったらそれこそ大声で泣いて主張する。
つまり赤ちゃんは好きに生きており、赤ちゃんがそうしているということは、人間は本質的そのように生きたいのです。(*'-'*)エヘヘ
しかし、成長するにつれ、何らかの社会に属している自覚が芽生え、その社会から教育されたり躾けられたりし、徐々にそのルールに支配されていきます。
家族、親族、地域、宗教、国、学校、会社、業界などなど、様々な慣習や常識が入ってきて、それらが増えれば増えるほどいろんな「べき、ねばならない」に縛られ、それこそがんじがらめにになっていく。(/TДT)/
つまり好きに生きられなくなって行くのです。
そして、いろんな「べき、ねばならない」に縛られて好きに生きられていない人の多くは、以下の基準で様々なことを選択していたりします。
それは、「損するか得するか」と、「危険か安全か」です。(・ω・)b
ここで言う損得や危険の種類は、何もお金や生命に関するものだけじゃありません。
社会や他人からの評価や評判なども含まれます。
それらも含めて「損するか得するか」、「危険か安全か」で選択しがちなんです。(#^ω^)
そして、ある意味そのような思考パターンが見えない「手かせ、足かせ」となり、本当の自分が望んでいる「好きに生きたい」という想いを封印するのです。(ノ)゚Д゚(ヽ)
ちょっと話は変わりますが、かつて日本も含めた世界には「奴隷」と呼ばれる人たちが大勢いましたよね。
ちなみに古代ローマ帝国では総人口の4割が奴隷だったと言うから驚きです。ヽ(*'0'*)ツ
4割もいたなら反乱起こしてひっくり返せるんじゃない、なんて思いますが、そう単純にはいきません。
なぜなら、かつての奴隷も、「損するか得するか」、「危険か安全か」で色々判断しており、その結果、「このままがいい」と奴隷のままを選択していたからです。エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
つまり、奴隷自らが、奴隷でい続けることを選択していたわけです。
ローマ帝国の支配者層は、実際に奴隷に「手かせ、足かせ」をさせていたわけではなく、「今のままの方が得だし安全だよ」って思わせておけばよかった。(;^ω^A
それが見えない「手かせ、足かせ」になるからです。
タカの雛(ひな)をニワトリの雛の檻に入れて一緒に育てると、そのタカは成長しても飛べなくなってしまうそうです。
ノミの跳躍力は本来2mあるそうなんですが、高さが30cmしかない箱に入れておくと、しまいには30cmの天井に当たらないように飛ぶようになるそうです。
子ゾウの時に鎖に繋がれて育ったゾウは、大きくなって簡単に鎖を引きちぎれる力がついてもその鎖に繋がれたままで、引きちぎろうとはしないそうです。
これらの例も言ってみたら見えない「手かせ、足かせ」です。(´ε`;)ウーン…
本当はもっと自由に好きなように生きられる能力があるのに、自ら「低い限界」を作ることで、その限界内にとどまり続ける。
人間で言えば、「損するかもしれない」、「このままの方が安全」という思考で無難な選択をし続けた結果、可も無く不可も無い存在で終わってしまう状態です。(⌒-⌒; )
潜在的に持っている天才性が開花することもなく、楽しさや充実感、豊かさも中途半端な状態のまま終わってしまう。
どこかで常に「なんか違う」なんて違和感を抱えながら。。。( ゚∀゚; )タラー
あなたは、あなたの感性や感覚に従って好きに生きていますか?
それとも、どこかに違和感を抱えながらも「こっちの方が安全だし損しない」という思考で選択し続けてますか?
“小森さん、あんたはすでに成功してるから好きに生きられるけど、私はそうは行かないのよ!!”(#`ε´#)
なんて恨み節も聞こえてきそうですが、これも何度も言ってますが逆ですよ。(≡^∇^≡)
自分の氣持ち、感性、感覚に正直なり、好きに生きれば生きるほど、ますますそうなるんです。
完璧にそうしなくても、そのような比率を高めて行くにつれ、さらにそうなる確率が上がるからです。
なんせ、この世の全てを作り上げている量子の本質は『確率』ですからね。
であるならば、あなたがあなた自身の能力を発揮して、さらに楽しく、幸せを感じ、豊かになる確率をドンドン上げればいい。ヘ(゚∀゚*)ノ
言ってみたら、ただそれだけです。
あなたは、損得や有利不利などを抜きにして、どんなことに興味関心があり、何に喜びを感じ、どのように生きたいのでしょう?
それを明確にして、なるべく今ここからそのように生きるのです。
それが本当の意味で「好きに生きる」状態であり、その喜びがさらにそうなる未来を引き寄せるんですよ。(^_^)v
無難を選択し続けることで『好き』を諦めた人生を生きるか。
それとも本当の自分に正直になり『好きなように』人生を生きるか。
どちらもあなたの選択ですが、くれぐれも最後の最後に「死ぬときぐらいは好きにさせてよ」とはならないように。。゚(゚^∀^゚)゚。 アヒャヒャヒャ
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