自分の心を解き放つ、ということ
- 感性と思考 自分軸と引き寄せ 仕事に関する引き寄せ
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- 2020年11月24日
宮本武蔵を描いた漫画「バガボンド」をご存知ですか?
「バカボンと」、じゃないですよ。( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
赤塚不二夫さんの傑作ギャグ漫画「バカボン」も有名ですが、宮本武蔵の生涯を描いた「バガボンド」も「スラムダンク」と並ぶ漫画家井上雄彦さんの代表作の一つです。
宮本武蔵は言わずと知れた戦国時代の剣豪ですが、その宮本武蔵の名を当時全国に轟かせたのが京都吉岡一門との決闘です。
武蔵は吉岡一門70名と1対70の決闘をすることになります。
「1対70」なんて聞くと「卑怯にも程がある( ̄_ ̄ i)」なんて感じちゃいますが、武蔵は臆することなく、鬼氣迫る強さで吉岡一門一人一人を次々に斬り捨てていきます。
決闘に参加した吉岡一門のある侍は、その武蔵を見て同じ一門の兄にこう話します。
“兄者、ワシらはどこか覚悟が足りなかったんやないのか?数の利に心がどこか寄りかかっておったんやないのか?現にワシなどは今朝食べた餅の余りを家に帰ったら雑煮に入れて食おうと思ってとっといた。今朝ここでワシまで死ぬとは思うてなかった。”
“勝敗はワシらに関係のないところで早々に決すると。。。一人でここに来たあいつの覚悟に比べて恥ずかしい。。。兄者、肚を決めたっ!故郷の父さん母さんを頼みます!”
そう言い残して武蔵に斬りかかったその侍も、その兄も、武蔵に無惨に斬り殺されます。(ノДT)
結局、吉岡一門は武蔵一人に全滅させられることに。。。
1対70という圧倒的に不利な状況で、ある意味「死の覚悟」で挑んだ武蔵だけが生き残り、一人一人がどこかで「自分は死なないだろう」と考えていた吉岡一門が全滅。
武蔵にしてみたら70人全員との対決が「自分ごと」だったのに対し、70人もいる吉岡一門の一人からすれば武蔵との対決はどこか「他人ごと」だった。
他人ごとだったので「残りの餅は明日にとっておこう」と考えていたが、二度と食べることはなかったわけですね。。。(_ _。)
現代を生きる我々に「死」はそれほど身近な事ではないですよね。
どこぞの誰かが亡くなったというニュースは毎日ありますが、それらも言ってみたら「他人ごと」です。
肉親や知人がバタバタ毎日のように亡くなるということはそうはないですし、日々食べているお肉も自分で牛や豚を殺して捌いているなんて人は殆どいない。ヾ( ´ー`)
今流行のコロナにしたって感染者の9割が無症状と軽症者なわけで、死にいたる人は非常に少ないわけです。
確かに「死」は多くの人にとってそれほど身近な事ではありません。
が、「死」は決まり事でもあります。
誰もがいつかは死にますからね。(=^.^=) ニヤニャン
生と死は言ってみたら「宇宙のシステム」で、地球も太陽も、この宇宙さえもそのシステムから逃れることは出来ません。
地球や太陽も何十億年かしたら寿命を迎え、この宇宙から消えるわけですから。
なので、私たちも当然ながらそのシステムから逃れることは出来ず、いつかは死を迎えるわけです。( ゚д゚)ノシ サラバジャー
ただそのタイミングがいつ来るか分からないだけですね。
“武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり”
これは武士道を書した「葉隠」の中にある有名な言葉ですが、この一文だけ取ると「武士とは潔く死ぬこと」、「武士は死んで一人前」なんて意味に捉えられますよね。(*ノωノ) イヤン
でも本来はそんな意味では無いらしいですよ。
本来の意味は、「何事も死の覚悟を持って挑めば、結果自由になり、仕事なども上手くいく」という意味らしいのです。( ´∀`)σσ
実はこれと同じ様なことをスティーブ・ジョブズも伝説のスピーチで語ってます。
“自分はいずれ死ぬという自覚を持つことが人生における重大な決断をする際の大きな助けになった。なぜなら、周囲の期待、プライド、失敗や恥をかくことの恐れなど殆ど全てのことが「いずれ死ぬ」という自覚を持つことで消え去り、本当に重要なことだけが残ったからだ。自分はいずれ死ぬという自覚を持つことが「自分には失うものがある」という囚われを無くすベストな方法だ。あなたはそもそも裸なのだ。ただ素直に自分の心に従えばいい。”
私もその通りだと思ってます。(▰˘◡˘▰)
何しろ私も「いずれ死ぬ」という自覚を持てたので、家族に「あんた正氣?」なんて言われる決断を選択できましたし、そのお陰の今があるわけです。
「自分はいずれ死ぬ、そもそも失うものなどない」と自覚することが、真の意味での囚われを無くし、自分の心を自由に解き放つことになるのだと思います。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
そして自分の心を解き放つことで初めて見えてくることがあります。
それは、「本当はどうしたいのか」ということです。
本当はどんな自分でありたいのか、どんなことをやっていきたいのか、どんなことを大切にしたいのかなど、本当の自分はどうしたいのかがだんだん見えてきます。ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
そして、その自覚を持ってその様に生きることが、ジョブズが言う「自分の心に従う」ことであり、本当の自分を生きる事でもあるのです。
武士道を書した「葉隠」にはこんな一文もあります。
“人間の一生はわずかの事なり。好いたことをして暮らすべきなり”
人間の一生はとても短いので、好きなことして生きなきゃ損ですよ、的な話ですよね。(*^.^*)
そして実際に人生はいつ終わるか分からない。
極端な話し、それは今日かもしれないし、明日かもしれない。ィャ((´д`●))三((●´д`))ィャ
それは誰にもわかりません。
でも、今日がもしかしたら最後かも、という自覚を持てたら、いろんなことを後回しにすることも避けられるはずです。
このお侍も「今日が最後かもしれない」という覚悟があれば、お雑煮も食べたでしょうに。。。(´・ω・`)
ところで、あなたにとっての「お雑煮」は何ですかね?
「やりたいことは全てやってる、このままの人生を歩んでも後悔はない」というのであれば、「お雑煮」は残してないですね。
「あれもやってみたい、こういうことに興味がある。でも今は出来ない」という事を繰り返していると、それこそ本当に時間切れになるかもしれませんよ。( ´_ゝ`)σ)Д`)うりうり
別に脅すつもりはありませんが、期限が来る前に、本当の自分を取り戻して、その様に生きた方がいいですよ。
ある意味、死を「自分ごと」にして、自分に正直に生きるのです。
そして、その方が結果的に幸福な長生きになると思いますしねー。(*^ー^)ノ
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